第八十三番札所 神毫山 大宝院 一宮寺
(しんごうざん だいほういん いちのみやじ)
一宮寺は、仏教伝来から約160年後の大宝年間(701-703年)、奈良仏教の興隆に尽力した義淵僧正によって創建された古刹です。
当初は「大宝院」と号し、南都六宗の一つである法相宗の寺院として、行基菩薩や良弁僧正といった高僧を輩出しました。
708年から715年(和同年間)、諸国に一宮が建立される際、行基菩薩が堂宇を修復し、讃岐国一宮である田村神社の第一別当職となったことから、「神毫山一宮寺」と改称されました。
さらに806年から810年(大同年間)には弘法大師が訪れ、約106センチメートルの聖観世音菩薩像を彫造して本尊とし、この時に真言宗へと改宗しました。
戦国時代の天正年間、長宗我部軍の兵火により伽藍は灰燼に帰しましたが、宥勢大徳によって再興されました。
注目すべきは1679年(延宝7年)、高松藩主・松平頼重により田村神社との別当職が解かれ、明治維新の神仏分離令より約200年も前に独立した寺院となったことです。
本堂左手には「地獄の釜」と呼ばれる薬師如来を祀る小さな祠があります。
この祠には、頭を入れると境地が開けるという言い伝えがある一方で、悪事を働いた者は頭が抜けなくなるという言い伝えも残されています。
実際に意地悪な老婆が頭を入れて抜けなくなり、悔い改めて善人になったという逸話も伝わっています。
現在の境内は田村神社と隣接しており、仁王門は路地を挟んで田村神社の鳥居と向かい合っています。
本堂前には大きな楠があり、その下にはベンチも設けられ、地域の人々の憩いの場としても親しまれています。
アクセス
12分(850m)