第五十九番札所 金光山 最勝院 国分寺
(こんこうざん さいしょういん こくぶんじ)
四国八十八箇所第五十九番札所の伊予国分寺は、天平13年(741年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創した伊予の国府における中心寺院です。
当時は七堂伽藍を備え、推定高さ60メートルの七重塔を持つ壮大な寺院でした。
第三世住職・智法律師の時代に弘法大師が長期滞在して「五大尊明王」の画像を奉納し、大師の十大弟子の一人である真如(元高岳親王)も2年間留まって『法華経』を書写しました。
しかし寺は幾度もの災禍に見舞われ、天慶2年(939年)の藤原純友の乱、元暦元年(1184年)の源平合戦、貞治3年(1364年)の細川頼之の侵攻、さらに天正年間の長宗我部元親の兵火により堂塔を焼失。
元禄2年(1689年)の『四國禮霊場記』には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」と記されています。
現在の本堂は寛政元年(1789年)に43代住職・恵光上人が金堂として建立したものです。
創建当時の寺域は現在地から東に約150メートルの場所にあり、その東塔跡には13個の巨大な礎石が残されて国の史跡に指定されています。
幸いにも古瓦、『国分寺文書』、『大般若経』など多くの文化財が現在も保存されており、伊予文化発祥の地としての面影を今に伝えています。
アクセス
Wikipedia
30分(2.2km)